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ギルバート&サリバンの作った「ミカド」というオペラをご存知ですか?
英国と音楽というと、ビートルズ以前ではエルガーの「威風堂々」が有名ですが、「ミカド」が英語圏のみならず、世界中で 毎年、いや毎月のようにどこかで上演されていることは、我々(日本人)だけがあまり知らない事実で、オペラというよりは、現在のブロードウェイミュージカルの元になったような歌劇、オペレッタです。
当時の資料によると、1885年3月14日初演から1887年1月19日まで、672回のロングラン公演でした。その後世界中で上演され、ドイツ版、ロシア版、アメリカ版、オーストラリア版etc
1891年3月、ヴィクトリア女王もウインザー城にて観劇されています。
リバティ氏がリバティ商会設立前からヨーロッパでは日本ブームがすごく、それは今の私達の想像を超えたものでした。
絵画の世界ではゴッホを始め、多くの印象派の画家達が浮世絵や扇面画を自分達の絵に取り入れていますが、音楽となると「蝶々夫人」(1904年)しか学校では教えられなかったですよね...
でもそれ以前にロンドンで「ミカド」 1876年パリでオペラ「古事記」が上演され、そのほかにも日本をテーマにした舞台が数多く演じられていました。
オペラ「古事記」って...どんなものだったか興味わきます。
「ミカド」という名のオペラは知らなくても、「ギルバート&サリバンのサボイオペラ」となると、”あぁ、あれね...”と思われる方も多いのでは。
マイク・リー監督が1999年「トプシー・タービー」というタイトルで「ミカド」が完成するまでの舞台裏を映画化していて、NHKBSでも放映されました。
その「ミカド」の舞台の完成にリバティ氏が大きく関わっています。それ以前にもリバティのデザインチームは様々な舞台美術を担当していましたが、「ミカド」には彼もたいそう力をいれていて、依頼を受けたとき、わざわざスタッフを日本に送り、そのままの材料(小道具、大道具にいたるまで)持ち帰らせ、着物は本物と材料(生地など)を調達し、出演者にあわせ、そっくりの衣装を作ったとのことです。
その初演の「ミカド」に忠実に作られた1966年制作のフィルムを見たことがありますが、出演者全員が西洋人でありながら、舞台は日本というありえない設定が、意外と違和感なく、”変”という気持ちが起こらなかったのはリバティ氏の努力のおかげでしょうか。
画像1、1885年「ミカド」のプログラムの中のリバティ社の広告(THE HOUSE OF LIBERTYより)
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画像2
左上は1880年~83年 陶磁器カタログ
(当時の日本ブームを思わせる陶磁器の広告)
左真ん中はリバティ商会のカタログ(1880年ごろ)
左下は日本の木版の図柄を絹にプリント(1880年ごろ)
右カラーは1934年のリバティ社のギフトカタログ
(リバティー百貨店 アリソン・アドバーガム著 愛甲健児訳より)
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1924年を舞台にした「炎のランナー」に「ミカド」の舞台が一部登場します。
初演から40年経って、演出はいかにも強国イギリスから見たエキゾチックな日本になっていますが、(1917年リバティ氏没)こんなオペラということは分かります。機会があったらぜひご覧ください。
またグラナダTVのシャーロックホームズにも同じシーンが出てきます。こちらはぐっと砕けたムーランルージュの舞台のような感じになっています。本当に大人気の大入り満員のオペレッタだったようです。
画像3 「ムールタン」リバーシブルの装飾用綿プリント織物
(1880年ごろ)
リバティデザイン 山田眞實著より
右は、現在もトランテアンにあるSS02-005です。
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