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ウィリアムモリスという名は、相当早くから明治の日本に紹介されました。大正5年、芥川龍之介の卒論のテーマだったことは以前書きましたが、ラフカディオハーン(小泉八雲)、上田敏、富本憲吉など、多くの人々がモリスの存命中から研究していたようです。
モリスのユートピア社会の理想やデザイン思想が日本の「新しい村運動ー武者小路実篤」「民芸運動ー柳宗悦」に多大な影響を与えたことは計り知れません。
詩人、随筆家、作家、画家、実業家(モリス商会や出版社など)社会運動家、建築家、工芸デザイナー等等と肩書きはまだまだあります。思えば19世紀の英国に現れたダヴィンチの生まれ変わりのような人ですね。
それも全て彼の一生が「自然に基づいて人間性を取り戻す」努力から生まれたものです。学問としてのモリスは研究家におまかせするにしても、モリスがとても愛すべき人物であり、その思想がモリスから実際に作り上げる職人一人一人まで行き渡り、現在も私達を楽しませてくれる完成度の高い作品となって、残っていることを感謝したいですね。
今回は、〔柳〕を取り上げました。このパターンの誕生を調べていると、今までリバティプリントから見て私達が柳と呼んでいたものは、本当は〔柳の枝〕であり、1887年に発表されたもので、それ以前の1874年に柳が発表されているようです。1874年というと、初期の作品になりますが、私の手持ちの資料をいろいろ調べても、どんなデザインなのかわかりません。この〔柳の枝〕は壁紙からシルクまで広範囲に使用されていて、時を越えた躍動感と新鮮さが表現されています。
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末娘でモリス商会の後継者であったメイモリスはこの柄の誕生のことを、後年こう語っております。
「ケルムスコット村のテムズ河上流の川辺を父と散歩していて、父は時折、風にそよぐしだれ柳をじっと観察し、私に指差し葉の細部まで教えてくれた」そして「ロンドンの多くの応接間を覆うことになったこのデザイン」と言っています。今でもケルムスコットマナーハウス(モリスが隠居所として借りていた)の庭に見ることができます。画像1はそのケルムスコットマナーハウスの寝室です。
(WILLIAM MORRIS DECOR AND DESIGN ELIZABETH WILHDEより)
画像2は1873年発表の〔蒲陶〕で背景に柳の葉が書かれています。1874年の柳はこれに近かったのでは...(ウィリアムモリス リンダ・パリー編 多田稔監修より)
モリスといえば...といろいろな方に聞くと「アカンサス」と「ウィロー(柳)」が一番にかえってきます。モリスのデザインは鳥や花々の華やかな色使いが有名ですが、ウィローの襖や衝立があってもしっくりくるような私達日本人には、この両者の単色の色使いに惹かれる方が多い感じがします。この図柄を見ていると、モリスが自然を一旦自分の中に取り込み、そして彼自身の自然を生み出す作業が伝わってきます。
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画像3は7~8年ぐらい前のリバティレーヨンツイルのウィロー柄で作ったワンピースです。今回ロンドンに行くため、ずっと使ってなかったほうのスーツケースを開けてこのワンピースが出てきてびっくり。どこにしまい込んだかと思っていたのですが...
水洗いでき、バスルームに吊っておくだけで重みでアイロンをかけなくてもきれいに乾いてくれるこの素材は、とても重宝したのですが、なくなって残念です。
タナローンには見当たらないので、バルーナウールのかつての見本帳より。
先日アガサクリスティのミスマープルを見ていたら、壁紙にウィローを使われたシーンが頻繁に出てきました。メイモリスが言っていたことが本当なんだと思いました。
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