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私、riekoの周りの手づくり好きが集まって、二年に一回、
嵯峨にあるお寺のギャラリーで小さな作品展をさせていただいております。
何回目かの折に若住職から、寄進された錦織のハギレがたくさんあるので、袈裟(けさ)を作れないか。との参考書付きのお話をいただき、とりあえず初めてのことなので、みんなで 古布を持ち寄り、試作したのがこちら、画像1の遠山糞掃衣の写しです。
画像2の左側の図を参考にしました。
(袈裟のはなし 久馬 慧忠 著)
お貸しいただいた本の中に「最尊最上の袈裟は糞掃衣」という言葉があり、糞掃とは、掃き捨てられたチリやゴミの意味で、すでに用が無くなり、捨てられた布で作られた衣。
布に対して、一切の選り好みも許されず、素材も絹から木綿。麻。現代では化繊も混じることがあり、一様ではない。と記載されていました。
元来、袈裟は田んぼの形からのデザイン(?)で、田とあぜ道を形どって作られたものです。袈裟のことを田相衣(でんそうえ)福田衣(ふくでんえ)とも呼ばれるのはそこからの由来です。
インドもお米の国ですよね、、、
袈裟をかけるということは、仏の心を身にまとうこと、誰でも袈裟をかけさえすれば、そのまま仏の心に覆い尽くされる。と、「袈裟のはなし」の“はじめに”に書かれてあります。
この本は難しい仏教の本よりも大変解りやすく、仏心についても、袈裟を通して書かれているので、読み物としても大変興味深いものでした。
リバティの布、DMCなど、輸入物を扱っていて、どうしても外国の習慣や手作りに目がいく毎日ですが、改めてずいぶん昔から、布があり、それを大切にし、最後まで生かす人々がいたと思わされます。
ある老師は袈裟のことをずばり「布の成仏」だと断言されています。木が木仏像に、銅が金仏像に、土が塑仏像に、麻と和紙が乾漆仏像に、崖岩が磨仏像になるならば、布だって立派な仏像になったとしても何の不思議もありません。袈裟こそ布仏像そのものでありましょう、と上記の本に書かれていました。
小市民の私はハギレがおさまる所におさまると少しホッとします。
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以前、正倉院展でも聖武天皇が用いられた品(740年~50年代)と伝えられるクレイジーキルトのような袈裟をみたことがあります。(こちらの画像の右・正倉院展の図録より)
全面に刺し子された、あまりの針目の細かさに、どのような針と糸で仕立てられたのか、興味がわきました。
図録には緑・紫・赤・青・黄・白の平絹を不規則に切り、細かく刺し縫いし、袈裟に仕立てたもの。
これは後年の遠山文様の源流である。と書かれています。
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画像3は東京江戸博物館にあった、ついたてです。
不規則な四角形の布をバランスよく組み合わせて作られたものです。
土台の和紙の上に、張り合わせてあるように見えました。
全体の構成が素晴らしく、このようなものを請け負って作る職人さんがいたのか、家人のどなたかのてづくりなのか、
想像は膨らみます。
なんと、こちらのついたては勝家(勝海舟)の所蔵品とのことでした。
江戸東京博物館については、江戸の町並みを再現するにあたって、
路上のゴミ1つまでの再現を目指し、林丈二さん(トランテアンスタッフお気に入りの著述家)に依頼すれども、どんなに調べても、江戸時代、ゴミはありえないとの結論に達したそうです。
ものは最後の最後まで使い切る。
たった150年前の日本では当たり前のことだったんですね。。。
こんな話や品々に出会い、
ますますハギレだらけの生活を覚悟しているスタッフ一同でした。
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