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日々私達が感じることの出来る色の違いを考えると判別可能な色数は、何百色?何千色?になるのでしょうか。世界中の色名の合計は英語で表記してあるだけでも万を超えるそうです。
世界基準として色は、赤(Red)黄(Yeerow)緑(Green)青(Blue)白(White)黒(Black)の6色プラス橙(Orange)桃(Pink)紫(Purple)茶(Brown)灰(Grey)の計11色に分けて考えるそうです。でも英語圏の人々と日本人とでは、多分同じピンクでも伝統や自然、習慣によって、感じる色相が違うかもしれません。ヨーロッパの色名、ピンクと同じ色は日本の色名で言う桃色ではなく、薄紅梅色が一番近く思われます。ピンクイコール桃色と連想してしまうのは、私の色の識別の始まりが12色のクレパスに書いてあったからかもしれません。
中世ヨーロッパではピンクを表す言葉に「ニンフの腿の色」とか「尼僧の腹」などの表現があったそうです。大人の色っぽい桃色でしょうか...(すみません、トランテアン便りには少し相応しくないかも...)でも本当の話です。現在ニンフの方は使われているそうですが、尼僧のほうは、不謹慎ということで文献には載らないそうです。
私達スタッフも毎日が色の中に埋もれて仕事をしていますが、本当に意識し、色名に対して興味を持ったのはDMCの刺しゅう糸をHPに載せた時でした。
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ある時使っている刺しゅう糸の名前がウェッジウッドブルーと知り、「ウェッジウッドって、あのW・Wでしょ。そんな個人的な名前を...」
いろいろ調べてみました。物の名前にはストーリーがありますね。とても興味深いものでした。
ウェッジウッドブルー
「英王室で用いられるロイヤルセラミックスとして英国の美術陶器を代表するウェッジウッドの陶器の青を表す色名。明と暗と合わせて3色あり1892年以降よく知られた色名になった」(色の小辞典 日本色彩研究所編 福田邦夫著より)
確かにDMCでは色番号518をLight wedgewood blue 517をDarkと表記しています。でもなぜ1892年なの...?疑問がムクムク?
確かウェッジウッドさんはリバティ氏より1世紀も前の人、1700年代のはずなのに。ジョサイアW・W氏とアーサーリバティはよく二人同時に語られることが多く、二人ともクラフトマンシップと商業主義を結びつけ大成功した英国の代表人物として登場します。W・Wブルーといえば、ジャスパーウェアの青、完成したのは1774年。十数年前にストークオントレント(日本の瀬戸市のような陶磁器の町)のWWミュージアムでジャスパーウェアの完成までの長い話と数々の展示品、実際に作られている工場を見学させていただいてよく覚えています。(忘れもしない、案内嬢が背の低い私が見上げるような180cm以上はありそうで、金髪、赤いブレザー 白いブラウス 紺のスカートで絵に描いたような英国人だったので)
他にもいろいろ興味深いことが
種の起源で有名なダーウィンはジョサイアの孫だったとか、大英博物館にある有名なポートランドの壷(博物館の日本語ツアーに参加すると壷の前で長い話を聞かされます)がW・Wの刻印の中に隠れているとか、私の好きなブラックバサルトはあまり日本では有名ではないけれど、当時上流社会の象徴であった白い手(労働しないので日焼けしない)をより白く見せるため貴婦人達に人気があったこと、初めてショールームという発想で大成功したことなどなど。
結局1892年という確定された年数のなぞは解けずじまいですが。もうひとつ、1920年に日本では「ペルシャの市場にて」の作曲で有名なケテルビーが「ウェッジウッドブルー」という曲を発表し大ヒットしています。ビクトリア女王が亡くなって20年足らずなのに、当時はもうビクトリア王朝を懐かしむ風潮があり、ビクトリアンスタイルのアフタヌーンティにぴったりな曲だそうです。刺しゅう糸1本からいろんな話に発展していく。早速CDを注文しました。届くのが楽しみです。
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最近のピュアリーです。節分には鬼の役をしてもらいました。最近ピュアリーにもファンメールを頂き、そのことをピュアリーにしっかり伝えてあります。それが解ってかわからずか、何をされてもじっとしてカメラにおさまってくれます。(ちょっと困り顔...)お店にご来店のお客様には来られた時は大歓迎ですが、帰られる時は寝そべってしっぽだけでご挨拶です。本人?はもう遊んでもらえないのが解っているようです。
刺しゅう糸を撮影したら、実際の刺しゅう糸の色と少し違って写りました。DMCの刺しゅう糸を手にとって見てください。トランテアンのDMCのページでもご覧いただけます。(撮影者談)
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