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今回のジュネーブ行きを決めたのは、ル・コルビュジエの「VILLA LE LAC」
日本では「小さな家」として有名なコルビュジエが両親のためにレマン湖のほとりに建てた家が見れるかもしれないと思ったから。
友達はジュネーブ入りしてからジャックダルクローズ音楽院通い。国際指導者免許を取得する為、少しずつ何年もかけてがんばっています。
朝、8:45分の授業に間に合うよう朝食を取り、出かける彼女。見送りのお母さんのような気分です。
みっちり授業をして、夕食は一緒ですが、慣れないフランス語でぐったりお疲れモード。(日常会話はペラペラ!)
世界中から生徒(その国ではプロの人々)が集っているので先生はフランス語・ドイツ語・スペイン語・英語・イタリア語がOKだそうです。中には二人のお子さん達と共に留学している日本人女性も。お母さんの力はすごい!ガンバレ!
そんな友達を横目にのん気な私は明日4月2日(水曜日)にコルビジュエ追跡を決行しようとまず前日にジュネーブ観光局へ。
前に調べて知っていたことは、
1、「小さな家」はレマン湖畔のジュネーブから汽車で1時間あまりのヴェヴェイという町にあること。
2、週の内、水曜日しかオープンしていない。
このふたつだけ。
地球の歩き方を初めその他のジュネーブレマン湖地方のガイドブックを見ても「小さな家」のことは皆無。
ヴェヴェイの町についてはネスレの本社があること、ドストエフスキーやクララハスキルの住んだ家があり、グノーが歌劇「ファウスト」を作曲した地。
アメリカを追われたチャップリンが25年間住んだヴェヴェイ。 とは書かれていてもコルビュジエのことはまったくなし。
観光局にて大勢のツーリストの後ろへ並び順番を待つ。やっと私の番になり、係りの女性へ聞いてみても「さぁ、聞いたこと無いわねぇ。ヴェヴェイのガイドブックをあげるから現地の観光局できいてみて。 それより、ジュネーブにもコルビュジエの建物があるからそこも是非見るべきよ!」と。
親切にバス乗り場とその場所への行き方を無料の地図に書き込んでくれた。
ちょっと拍子抜けしたけど、とりあえず行ってみることに。
言われた場所はほとんどがメンテナンス中のシートに覆われている。工事の人に聞いても言葉は通じず…。
丁度、3人の男子高校生(?)が出て来たので思い切って聞いてみると、「中に入りたい?中を見たい?」と言ってくれる。「ウィ!ウィ!」と私。(英語で聞かれているにもかかわらず…)
かくして中へ入れることに。ドアを開けてくれて、エレベーターを教えてくれて、とっても親切。若いのにジェントルメン。年配の女性に対する姿勢が小さい時から培われているのがよく分かる。
*後で調べたらその建物は、
“クラルテの集合住宅” (1931年)
コルビュジエの建築家としての都市計画に対する考え方が変容する瞬間を捉えた最初の作品のアパート。
屋上庭園があり住む人に太陽・空間・緑を享受する喜びを与える。 とある。
中に入れただけで舞い上がってしまった!
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あくる日、不安いっぱいで雨の中、ジュネーブコルナバン駅へ。
切符売り場で「全くフランス語はしゃべれない、理解できない、英語はほんの少し、ゆっくりしゃべって下さい。プリーズ!」とインディアン日本語のような私の英語。
私「ヴェヴェイへ行きたい」
駅員「片道? 往復?」 私「往復」
駅員「今日帰る?」
私「イエス。イエス!カムバックトゥデイ!」
駅員「ローザンヌで乗り換えよ」
私「(??そのことは列車の中で誰かに聞こう)YES!Thank you!]
いわれた列車に乗る。ファーストクラスかしらと思う内装。超特急みたいで次の駅がローザンヌらしい。
私とインド人観光客しか乗っていない。
検札の人が来たので聞いてみた。再びインディアン英語の私に車掌さんはとっても優しい。
「マダーム。次がローザンヌ駅です。4番ホームに着くので5番ホームに移動してください。向かいですが同じホームではありません。ブリッジを渡って停車中のヴェヴェイ行きに乗ってください。5分あるので慌てないで!」
はい。ちゃんと乗れました。ローカル線で小さな駅を1つずつ止まります。レマン湖畔を眺めながらのんびりと車窓の旅。
ヴェヴェイに着き、駅前のタクシー乗り場から車で5分くらい大きなネスレ工場を横目にあとは何にも無しのレマン湖畔沿いの国際道路、無事目の前に、頭に焼き付いている「小さな家」が。それでも不安で運転手さんに待ってもらい門扉をガタガタ。後ろから運転手さん「午後1時30分からみたいだよ」
ということでもう一度町へUターン。推薦のレストランでランチを取ることに。(メニューはフランス語のみ。サーモンタルタルしか分からない。)
また、駅前からタクシーで再度チャレンジ。
再び到着!今度は開いている!
きっちり一時間後に迎えに来てくれるよう運転手さんにお願いする。
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ドキドキでドアを開ける。
入場料を払い中へ入ると、なんと三人の日本人の男の子が日本語で会話をしている。向こうも私をみてびっくり。
うろうろ地下のワインセラーに行ったり屋上庭園にいったり、3人も私が気になる様子。
思い切ってシャッターをお願いする。彼らが「建築家の方ですか?」
とんでもない。
そこから3人が口々にコルビジュエの建築の素晴らしさを私に訴えかける。説明つきの見学に早変わり!
「今、ここにいることはすごいことなんですよ!!」3人の感動がひしひしと伝わってくる。
「(おばさん…とは言わなかったけど)よく今日からオープンって知ってましたね!?」
私「えー!知らなかった。今日からなの?」
そう、冬の間はクローズなんです。
3人は管理人さんに椅子に座ってもいいと言われて感激最高潮。
「僕がコルビュジエのこの家でシューロングに座ってるなんて…」
3人の会話を聞き、私もとても幸せな気分に。
ブログに載せていい?写真OK?じゃあ僕達といっしょに写真撮りましょう!
3人はパリとブリュッセルと東京で建築の勉強中。各々ヨーロッパのコルビュジュエ建築をまわっていてリヨンで出会い、意気投合してジュネーブに来た。
外は大雨、駅からここまで歩いてきた。帰りのタクシーで一緒に駅に行く?と聞いたら
「僕達、今日一日ここにいたいんです。(おばさんは)ここに住みたくないですか?」
「うーん。。。。」
昨日今日、コルビュジエが素晴らしい人達との出会いを作ってくれた。
帰りのタクシー、そして汽車の中、涙があふれました。本当に行って良かった!!
18坪の小さな家。年老いた両親が使用人なしでゆったりと生活を楽しむ充分な空間。
おまけに可動間仕切りで客室まで収納スペースもたっぷり。11mもある湖畔に面したリボンウィンドウ。
レマン湖の向こうにはアルプスの山々。ローヌ渓谷。
何よりもおかあさんの為の小さな裁縫机。(101歳でなくなるまでの36年間をここで1人暮らし。ご主人とはたった1年間だけの生活。)
世界中のコルビュジュエの建築が世界遺産になるそうです。日本にもひとつだけあります。
国立西洋美術館 (1959)
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